ほろ苦だから美しい ドン・フリーマン 絵本紹介 3冊
はじめに
私は育児の過程で絵本の読み聞かせが趣味となり、今や、その蔵書が1000冊をこえるまでに夢中になっています。
そのなかでも今回はアメリカの絵本作家ドン・フリーマンの作品をご紹介します。「少し違うけれど、それでよかった気がする」という感情が味わえる作家です。
思えば私も紆余曲折、「少し違うけれど」と様々なほろ苦さを味わってきました…と私のことはさておき、ドン・フリーマンのことをご紹介します。非常にユニークな経歴です。ジャズトランペッターとして働きながらも、美術学校に通い絵の勉強をしていたそうです。そんなある日、地下鉄でトランペットを置き忘れてしまい…それをきっかけに絵の仕事に専念することにしたそうです。そのような経歴が関連しているのかどうかはわかりませんが「少し違ったけれど、それでよかった気がする」というテーマが多くの作品で共通して流れています。
絵本紹介
くまのコールテンくん
デパートで売られているくまのぬいぐるみとそれを買いに来た女の子との友情の物語です。原題は「Corduroy(コーデュロイ)」です。コーデュロイのオーバーオールを着たクマのぬいぐるみが主人公です。そのぬいぐるみの名前がコールテンくんです。今だったらコーデュロイくんだったのかもしれませんがコールテンくんの方が親しみやすい感じして私は好きです。
原書の初版は1968年。日本では1975年に出版され40年以上前からのロングセラーです。物語の舞台はデパートです。デパートというと昨今の厳しい経営環境からすると私の孫がこの絵本を読むころは「おじいちゃんデパートってなあに?」と蒸気機関車のように物語の世界にだけ登場する存在になっているのでしょう。
物語の説明に入ります。とある理由でコールテンくんは夜のデパートを探検するのですがエスカレーターを山登り、家具売り場を王様の御殿と勘違いし、ずっと山登りがしたかった、ずっと御殿にすんでみたかったと喜びます。
そして女の子がコールテンくんを購入し、自宅に連れて帰ります。そこでずっと豪華なデパート住まいだったコールテン君は初めて一般人の慎ましやかな「家」にくることとなります。そこで、コールテン君はずっと前からうち(一般家庭)で暮らしてみたかったと喜びます。ここまではコールテン君の「ちょっと違うけど、それで幸せ」です。一方、女の子は、オーバーオールのボタンがはずれたコールテン君を購入し、「あなたのこと、こもままでもすき」と伝えます。
このように単純なハッピーではない、すべてが完璧に物事が進むわけではないけれど、いとおしい日々というものが感じれられる温かい作品です。
ターちゃんとペリカン
夏休みに家族で海に遊びに来た男の子とペリカンの友情のお話です。そのペリカンは去年もキャンプ場そばの海辺にいたので、今年も会えるかなと楽しみにしていたところ…
そのペリカンは会えるかなと思えばいないし、もうどこかにいったかなと思えば登場するしと、きまぐれな存在です。一見、恋愛心理のようですが人間関係にかぎらず、探すのをやめたとき見つかることもよくある話だったり、仕事や生活上の目標も執着してるときはそこに届かないのに、しばらく執着を忘れて気が付いたら遠回りだったが届いていたみたいなことはあると思います。そのような、すべてが完璧に物事が進むわけではないけれど、それがまたよいという人生のエッセンスが味わえる作品です。
また以前、子どもの喜ぶ話の一つのパターンとしてデコピンのように、ためてためてーーっドーンとたまった力を解き放つような「ぐぐーっとためてから解き放つ」というパターンがあるという仮説を記事に掲載しました。この作品にも、その要素が含まれています。
物語の終盤で男の子がやっと会えたペリカンに対して「いったいどこにいっていたのさ?……どうしてだまっているの?」と迫るシーンがあります。そこでペリカンは無言で待ちながら…最後、大きなくちばしを「ぐわぁー!」とあけて男の子にとあるプレゼントを渡します。ここの「男の子は迫る」「ペリカンは無言」というところで十分な間をとって…ためてー…「ぐわぁー」というペリカンの声を読みながらページを開くと子どものテンションがあがります。
ダンデライオン
キリンからパーティに招待されたということで気合をいれてライオンはおしゃれをするのですが、空回りして失敗してしまうというお話です。最後はありのままのライオンを友人たちが迎えてくれます。
ファッションに限らず、自分を現実以上に大きく見せようとして失敗するということは、自分のことは思い出すだけで胸が痛くなりますが、多くの人が経験しているのではないでしょうか。そんなほろ苦い感情がありながらも、結果として「少し違ったけれど、それでよかった気がする」と素直に伝えてくれる作品です。
また、明るく楽しい絵なのですが、気が付くと黄色と茶色の二色の濃淡でだけですべてを表現しており、絵としても素晴らしい作品です。
おわりに
ドン・フリーマンの作品を3冊ご紹介しました。私などは日々「少し違ったけれど、これでよかった(ということにする)」の繰り返しです。このように単純には分類できない、ことばで説明しづらい、だけど「わかるなぁー」という感情をドン・フリーマンは自然な絵と文で表現しています。このような単純には分類できない感覚が味わえる作品に出合えるととても満ち足りた気分になります。
参考資料
- わたしの本のこと > ドン・フリーマンの絵本 - なかがわちひろ
…ドン・フリーマンの作品の翻訳もされているな絵本作家なかがわちひろさんのサイトです。ドン・フリーマンの経歴を調べる際に参考にさせていただきました。
関連記事
- 「ターちゃんとペリカン」でも出てきた「ぐぐーっとためてから解き放つ」パターンは子どもの好むお話の形式であるという仮説をご紹介した記事です。
実在する「架空社」の絵本 3冊
はじめに
私は育児の過程で絵本の読み聞かせが趣味となり、今や、その蔵書が1000冊をこえるまでに夢中になっています。
私は長いこと、たむらしげるさんの「よるのさんぽ」という絵本を探していました。この絵本は「架空社」という出版社から発行されているのですが、amazonでも中古市場でもみつからず、どうしたら入手できるものか調べたくても会社のホームページもみつからずで「まさか架空の会社の架空の作品なのでは…」なんて空想したりもしましたが練馬区に実在する出版社でした。関係者の皆様、失礼いたしました。
一方、我が家の蔵書をみてみると何冊か架空社の作品があることに気が付き、さらには、いずれも作家の個性があふれ出た攻めている名作でした。そこで今回は「架空社」の絵本を3冊ご紹介します。
ちなみに「よるのさんぽ」はamazonではしばらく、新品在庫なしという状態でしたが、今年の7月に急に「在庫あり」となっていて無事、購入できました。
絵本紹介
やまのかいしゃ
文はスズキコージさん、絵は片山健さんと人気作家お二人による作品です。主人公の「ほげたさん」は会社員ですが、昼まで寝坊するわ、時計を忘れるわ、靴を忘れるわ、仕事用のカバンも忘れるわ…なんて状態で、挙句の果てに通勤電車の逆方向に乗ってしまい、山方面に行ってしまいます。そして山登りをはじめ、その山を会社にしちゃうというお話です。会社と逆方向に行って、終点駅から山登りということは高尾山かしらなんて思ってしまいます。
そんなほげたさんですが、奥さん子どもともうまくやっているようだし、同僚から社長にまで愛されています。この作品を読んでいると私自身、「まぁいいか」「なんとかなるさ」と心がほわッとします。私はともかく子どもは子どもで親以上に日々、新しい経験を要求され、子供なりのプレッシャーがかかっているんだろうなと思います。ですから、一緒にこの絵本を楽しむ時間を大事にしたいと思っています。読み聞かせは3歳くらいから楽しめると思います。
絵は明るく楽しく空気のきれいな山を感じられます。この絵本の絵は片山健さんでよかったですよ。もし絵がスズキコージさんだったら妙に緊張感が高まって「ほげたさん、こんなことで生活はどうするんだろう?大丈夫だろうか?」なんてスリリングな感じになっちゃいそうです。
私が持っているのは1991年に出版された架空社版ですが、その後しばらく品切れになっていたものを文章を一部見直して2018年に福音館書店が再版したそうです。(以下のリンクは入手しやすい福音館書店版です)
ところで「やまのかいしゃ」というタイトルで思うことは、もし、私が学生時代に戻れるなら、長期休暇は北アルプスの山小屋でアルバイトしかったと思っています。皆さんは学生時代に戻れたらやってみたいと思い続けているアルバイトってありませんか。
うまそうだな、ねこ
いつも猫にいじめられている魚が、猫を見返すためにどんどん進化するというお話です。猫と魚の関係がスリリングでハラハラしますが…ラストページでホッとさせられます。絵もかわいらしいですし、ストーリーもほかの絵本では見たことのないオンリーワン作品です。絵本の中で「進化」「退化」という単語が言い換えなしに、そのまま使われているのも攻めている感じがして好きです。4歳くらいから楽しめます。
アリのさんぽ
こしだミカさんの作品は『くものもいち』『いたちのてがみ』など、「こどものとも年少版」で読んだことがあり蜘蛛やイタチといった絵本の題材になりにくい生き物をテーマにしている点や、どちらの作品もそれらの生き物と人間とがお互いを尊重した関係が描かれていて視点が面白い作家だなと感じていました。
本作品は主人公のアリが世界の先がどうなっているのかいろんな動物に聞いて回る話です。絵柄も色彩もかなり独特です。グロテスクとみることもできますし、個性的でかわいいとみることもできます。アフリカやオセアニアの原始民族によるプリミティブアートのような感じともいえます。サイズが大きい本で一面に動物の植物の生命力がほとばしっています。絵本の中の会話は関西弁でやりとりされて、そのあたりもエネルギーを感じます。
驚きの結末で、非常に読後感が爽快で「よっしゃ!」と気合の入る絵本です。田島征三さんの「とべバッタ」に似た読後感です。
3歳ぐらいから楽しめると思います。私は妻から友人の出産祝いや子の誕生日向けに絵本をプレゼントする際に、おすすめを聞かれることが多いのですが、絵本、美術、音楽など文化系の趣味・素養がある人には、この絵本を勧めたいと思っています。
おわりに
出版社特集なんて酔狂な気もしましたが、私としては好きな作品をたくさんご紹介できよかったです。ちなみに今回ご紹介した「アリのさんぽ」も当初amazonでは新品在庫がなく、たまたま訪れたクレヨンハウスにひっそり置いてあった1冊を発見し、即購入したという経緯があります。調べたといっても書籍やブログという範囲ですが絵本業界のことを調べてみると多くの関係者の発言として
- 小規模な出版社は特に、品切れになったとしても、ある程度、売れる見込みがたつまでは重版しない。
- 新刊絵本(非ロングセラー作品)はなかなか売れない。
という2点があります。そのためロングセラー以外の絵本は「ほしい」と思ったら、そのときに買ってしまったほうがよいのかもしれないと考えております。
関連記事
- 架空社「よるのさんぽ」をご紹介しています。
レオ・レオニ「フレデリック」にみる論理と直感のバランス
目次
はじめに
私は育児の過程で絵本の読み聞かせが趣味となり、今や、その蔵書が1000冊をこえるまでに夢中になっています。板橋区立美術館で10月23日から開催されている「だれも知らないレオ・レオーニ展」に行ってきました。そこで今回は展覧会のレポートとレオ・レオニの代表作「フレデリック」をご紹介します。
だれも知らないレオ・レオーニ展
外観
入り口周辺のガラスには絵本のイラストが印刷されたフィルムが貼られていました。馴染みの作品が大きく飾られていると気分が上がります。
入館
入場にあたっては事前にオンラインでの日時予約(15分単位)が必要です。チケット購入時に予約画面を見せます。
混雑状況
私は平日の午前中に訪問したので空いていてゆっくりみることができました。休日の状況はわかりませんが、オンライン予約画面を見る限り15分枠に対して最大30人としているようです。
展示内容
まず最初にフレデリックの原画が迎えてくれます。原画は得られる情報が印刷物とは段違いです。特にフレデリックについては貼り絵の作品ということもあり、ねずみのフワフワした毛の質感は手でちぎったようで、植物などの背景はハサミ等ですっきりと切り取られているなど、絵本では得られない質感•立体感を見ることができます。
次に広告デザイナー時代の作品が並びます。続く政治風刺のイラストは1940~50年代に描かれたもので展覧会のタイトルどおり「知らない」一面をみることができます。そして油彩画、絵本の原画の展示へと続きます。ここに本展覧会の目玉とされている「スイミーの幻の原画とその謎」があります。
そして一連の展示をみて最も感銘を受けたのは広告デザイナーとして十分に社会的に成功したのちに、アートに対する政治的介入に疑問を持ち絵本作家となったというエピソードです。つまり、十分に人生経験を積んだのちに、自己の成功ではなくアーティストの社会的責任を果たすために絵本という手段を選んだという点です。
レオ・レオニの作品はそのメッセージ性の強さから堅苦しいと感じるところもありましたが、あたたかみのある先人の教えとして改めて作品にこめられたメッセージを読んでいきたいと感じました。
絵本紹介「フレデリック」
主人公は芸術家のネズミ
レオニは49歳ではじめての絵本「あおくんときいろちゃん」を発行しました。その後、1年に1冊の間隔で絵本を作成し40年で37冊の作品を世に出しています。うち物語絵本が29冊でそのうち、12冊がネズミが主人公です。そして今回ご紹介する作品「フレデリック」の主人公は芸術家のネズミです。つまりレオニの自画像としての絵本作品といえます。自画像とは自分とは何者かを表現するものですから数ある作品の中でも強い主張・メッセージ性を持たせた作品となります。
あらすじ
絵本を読んだことのない方向けに、簡単に内容を紹介しましょう。
ねずみ集団が冬に備えてせっせと働いている中、変わり者のフレデリックは色や言葉をためこんでいるというが、ぼんやりしているようにしか見えません。しかし、いざ厳しい冬になってみるとフレデリックの取り組みが集団を救ったという話です。
論理と直感のバランス
この作品は様々なメッセージを読み取ることができますが、主要なメッセージの一つとして「人はパンのみにて生きるにあらず」という芸術の役割の重要性があります。
そのメッセージをもう少し、日常生活のヒントとなるよう、かみ砕いてみたいと思います。すると論理と直感のバランスの重要性として捉えることができるのではないかと考えました。
ねずみたちは蓄えた食料と藁だけで厳しい冬を乗り切ることはできず、フレデリックの「心を動かす表現」で春を待つ気力を生み出しました。それは我々の日常生活においても同様であり、数値目標や業務分掌といった論理だけでは前向きに問題解決に取り組むことはできず「いいね!」と思われるようなビジョン、つまりフレデリックの役割である「心を動かす表現」が必要となってきます。
また日常生活や仕事の場での一見、論理が重視されそうな説明•説得という場面においてさえ、多くの場合、論理は反論を封じるという役割しか果たせず、説明の結果として実際のアクションにつなげるためにはその根底に流れる美意識による共感が重要となります。
一方、ストーリーの流れからフレデリックの芸術が集団を救ったという面に目がいきますが、そもそも働くネズミ達がいるからこそ、フレデリックが芸術に専念することができたという見方もできます。そして身近な育児においても愛情(美意識/直感)だけでなく経済(社会性/論理)という両輪が必要です。
つまり本作品のメッセージである芸術の役割を身近な日常生活におきかえると、論理と直感をバランスよく最大限活用することの重要性としてみることできるのではないかと考えています。
おわりに
今回、久々の美術館訪問でしたが、静かな空間で自分のペースで、ただただ目の前の芸術作品に集中するという行為は心が洗われます。このたび、あらためてレオ・レオニのキャリアを俯瞰したことによる一番の気づきは 49歳で絵本作家として出発したという点です。人間、いくつになって新しいステージで活躍できるのだと勇気を得た一日となりました。
関連記事
- エリック・カールはレオ・レオニとの出会いをきっかけにニューヨーク・タイムズのグラフィック・デザイナーとして働き始めました。
- 本記事では美術における自画像の意味について考察しています。
心地よい孤独感と懐かしさが同居する作家 たむらしげるさんの絵本 3冊
はじめに
私は育児の過程で絵本の読み聞かせが趣味となり、今や、その蔵書が1000冊をこえるまでに夢中になっています。
読み聞かせの際は基本的に私がセレクトしたものを順に読んでいくのですが、そのときの息子の気分にあわない作品はタイトルを読んだ時点やその本を手に取った時点で「違う。それじゃない。」となります。
しかし、どのようなときでもウェルカムな鉄板作家が存在します。次の3名です。
絵柄も取り上げる題材も異なるお三方ですが、あえて共通点をあげれば
- ノスタルジーを感じる作風であること
- 教訓ものではないこと
絵本紹介
よるのさんぽ
眠れない少年が夜の散歩にでかけるというお話です。透明感がある色彩で、シンプルなイラストなのですが、奥行きがあり、その場にいるかのような没入感がある絵本です。
本作品について、しばらくamazonでは新品在庫なしという状態であり、中古については私の手の届く価格ではないという状態でした。しかし「ほしいものリスト」にいれていたら、今年の7月に急に「在庫あり」となっていて即購入した一冊です。
架空社という出版社から発行されており調べても会社のホームページもなく、この作品もなかなか手に入らないことから、まさか架空の会社の架空の作品なのではなんて空想したりもしましたが練馬区に実在する会社でした。
翻って我が家の蔵書をみてみると何冊か架空社の作品があり、いずれも名作であり、いつか記事として取り上げたいと思います。
そして今回の件が該当するかどうかは確実ではないのですが、出版業界のことを調べてわかったことは
- 小規模な出版社は特に、品切れになったとしても、ある程度、売れる見込みがたつまでは重版しない。
- 新刊絵本はなかなか売れない。
という2点です。つまりロングセラー以外の絵本は「ほしい」と思ったら、そのときに買ってしまったほうがよいのかもしれないと考えております。
のってみたいな
こどものとも年少版2018年11月号の作品です。2020年10月現在ではハードカバーにはなっておりません。パンでできた自動車や、くじらの潜水艇など、たくさんの夢のある乗り物が登場します。
食いしん坊の息子は「おかしのくにを走るティーポット鉄道」のページを食い入るように見ています。二桁連続で「もっかい」(もう一回読んで)があった作品です。
たむらしげるさんの複数の作品で繰り返し現れるモチーフである「ロボット」や「あるく家」が登場し、うれしくなります。
ハードカバー化希望です。
よるのおと
少年が夜、お爺さんの家に訪問するというお話です。すいこまれるような青が美しい作品です。偕成社の記事によると興味深い説明がありました。通常の絵本は
- 画家が描いた原画をスキャナーで取り込む。
- スキャナで取り込んだ結果を分解してシアン、マゼンタ、イエロー、ブラックという4色の小さな点の集まりとして再現する。
という手順でデータ化し、そのデータから印刷用の版をつくります。
ところが本作品においてはイメージしている青を再現するために印刷用の版をたむらさん自身にて作成したそうです。印刷用の「版」とは刷版(さっぱん)とも言いますが、どのようなものかというとハンコと朱肉をイメージしてください。そして
- 4色の朱肉:インク(CMYKならその四色)
- 4つの版(刷版):4色ごとのハンコ
- 非現実的でありながらノスタルジック
- 孤独感があるのにそれがここちいい
が十二分に詰まっていて、吸い込まれるように絵本の世界に連れて行ってくれます。
おわりに
たむらしげるさんの作品を3冊ご紹介しました。たむらしげるさんの作品のように、うまく分類できない、ことばで説明しづらい、だけど「わかる」という感情が味わえる作品に出合えるととても満ち足りた気分になります。
皆さんも、このリアルと幻想が同居した不思議な世界への旅を楽しんでみてはかがでしょうか。
参考サイト
参考にしたサイトです。
関連記事
ライブ•コンサートがテーマの絵本 3冊
はじめに
私は育児の過程で絵本の読み聞かせが趣味となり、今や、その蔵書が1000冊をこえるまでに夢中になっています。読み聞かせの魅力のひとつに読み手、聞き手の双方が体験する「臨場感」があります。「ライブ感」といってもいいでしょう。読み手、聞き手とで呼吸をあわせながら生の声でお話をするという宝物の時間です。
また読み聞かせは絵を見る視覚、耳で聞く聴覚が中心となりますが、目の前でページをめくったり、お話内容にあわせて本を近づけたり、遠ざけたり、振動させたりと三次元の視覚で楽しむことができ、聴覚についても機械越しにはキャンセリングされてしまうノイズや非可聴音含めて体で感じることができます。
そして「だるまちゃんとてんぐちゃん」で天狗ちゃんの鼻にトンボがとまるシーンでは子どもの鼻にふれ、「とべ!ちいさいプロペラき」でプロペラ機が飛び立つシーンでは父さんの膝がゴゴゴと一緒に揺れます。
もはや膝にすわっての読み聞かせは全身でお話を楽しむ4DXシアタシートといってよいでしょう。そんな読み聞かせそのものが臨場感あふれるものですが、今回はさらに、絵本の内容も含めて臨場感を追求し、ライブ・コンサートがテーマの絵本を3冊ご紹介します。
絵本紹介
おばけのコンサート
たむらしげるさんの作品で、こどものとも年少版出身の絵本です。こどものおばけがハーモニカをふいていると、様々な楽器を持ったおばけたちが家にどんどんやってきてライブが過熱していきます。
「ブラボー!」と森の動物たちや他のお化けなどの観客達も一緒に踊りだします。まるでインド映画のワンシーンのようです。
色鉛筆で描かれているそうですが青、緑、黄色などの透明感のある色彩がすばらしいです。また楽器の擬音なども独特で楽しい作品で2歳頃から楽しめますので出産祝いにもおすすめです。
もりのピアノ
14ひきのシリーズでしられた、いわむらかずおさんの作品です。女の子が森の中で切り株のピアノを弾き始めると、ネズミは葉っぱのチェロを、タヌキがパーカッションをと様々な動物がくわわり…というお話です。とてもかわいらしい作品で、お話もシンプルに構成されており2歳ぐらいから楽しめます。
私はクラシック楽器に関する絵本を探しているのですが、あまりよいものが見つけられてらず、貴重な1冊です。楽器の中でも特にチェロが好きで、チェロが出てくる絵本を探しているのですが「セロひきのゴーシュ」や、いせひでこさんのいくつかの作品があるものの、いずれも対象年齢が高めで、息子にはまだ難しい内容です。そしてチェロよりも演奏者が多いであろうピアノやヴァイオリンがでてくる絵本もたくさんあるわけではなく不思議に思っています。
きょうはマラカスのひ
不思議なキャラクターの友達3人組が、おうちに集まってマラカスの演奏会をするというお話です。マラカスの音を声で表現するところでは「チャッ チャッ チャチャッ」と子供と一緒に盛り上がります。
そして
- 友達が家にあつまってマラカスの演奏会をするという企画
- なぜか登場人物みんなタイツ(含む全身タイツ)を着用
- 登場人物はすべて動物なのか人間なのか、わからない
おわりに
今回はライブ・コンサートをテーマとした絵本を3冊、ご紹介しました。膝の上で子どもに読み聞かせができるのは限られた時間です。お互いに体温を感じながら、その貴重な宝物の時間を楽しみたいと思います。
また、いままでは我が家も子どもと一緒にカジュアルなファミリーコンサートや、カフェなどで開催される演奏家の自主公演などを気軽に楽しんでおりましたが、このご時世、そのような機会もめっきり減ってしまいとても残念に感じています。いつかまた、気軽に生の音楽を楽しめる日が来ることを願っております。
関連記事
ドングリでアマビエを作る!
はじめに
以前、子どもと楽しめる季節の遊びとして「ペイントどんぐりの作り方」をご紹介しました。その記事ではドングリ採集から乾燥までは今年、実際に行った内容をお伝えし、その後の工程は実践なしで文章中心でお伝えしました。
そして、ようやく今年、採集したドングリにペイントをしました。作ったのは疫病退散ということで「アマビエ」です。今年のドングリで色付け、ニス塗りまで実践した内容を写真付きでご紹介します。
ドングリ選別
まずは拾ってきた中から目的にそった形状のものを選びます。
今回はアマビエという3頭身の妖怪の絵をドングリの形状として落とし込んでいくことから、クヌギの中でも縦長かつ大きめのものを選びました。また置いて飾ることを考慮し自立しやすいかどうかをチェックしました。そして数あるドングリの中から5個を選びました。選ばれし者たちを以下の写真にてご紹介します。
下地処理
下地処理はポスカで行いますが中字や細字での作業は時間がかかりますので太字角芯を使って行います。今回はアマビエの下地として利用できそうな色として
- 白色
- 薄橙色(うすだいだい)
- 黄色
「薄橙色」とは従来「肌色」と言われていた色です。ポスカを発売している三菱鉛筆によると "人の肌の色へ固定観念を与える可能性があると指摘されていたことから” 名称変更を決定したとありました。またペールオレンジという言い方もあるそうです。
さらに肌色 - Wikipediaを調べてみると江戸時代以前にさかのぼって宍色(ししいろ)と呼ばれていたそうです。宍とは大和言葉で獣の肉のことを指します。そして「生類憐れみの令」などにより肉食を禁じられた人々が宍色に代わる呼び名として肌色という表現を使ったという話があるそうです。そういう意味では自分がなじみのある肌色という言葉ですら社会背景にあわせて生み出されたものだったということです。
ただ「肌色」の筆記用具がなくなったわけではありません。世界のさまざまな肌の色を集めたという12色の色鉛筆セットがイタリアのメーカーから発売されております。
本題に戻ります。今回、下地とした使ったような薄い色の場合、一度塗っただけではドングリの地の色が見えてしまうため、出来栄えを考えて重ね塗りが必要となります。ただしデザインによってはドングリの地の色を味として使うのもありだと思います。
塗ったところが乾くのを待ってから次の重ね塗りを繰り返すため、この工程は何か別のことをしながら、のんびり進めます。ただし手が汚れているため、できることは限られており、私は雑誌を読みながら進めました。下地処理が終わると以下の写真のように元のドングリの色はわからなくなります。この時点で若干かわいさが増しています。
色付け
下地処理の後の色付けもポスカを使いますが中字丸芯を中心に使い、細かい黒線だけ細字丸芯を使いました。一つの色を塗ったら、乾くまで待つことが重要です。乾かないうちに次の色を塗ると色が混ざったり、ペン先も汚れます。
白地は「肥後国海中の怪(アマビエの図)」(京都大学附属図書館所蔵)を参考に色付けをしてみました。黒ペンで書いていくだけなので比較的、簡単にできました。
薄橙色地はマーメイド風に色付けをしてみました。胴体のウロコ部分でキラキラ感が出せないものかと考えましたが、私の技術力不足から黒ペンでウロコ柄の線を引いて終わりとしてしまいました。
黄色地は水色の髪色を塗っている途中で「何かちがう」と感じたため、水色で下地処理をし直して中トトロにしました。
ニス塗
ポスカがしっかり乾いたことを確認してからニスを塗ります。ニスの塗り方次第ではドングリが台に貼りついてしまうことがあります。過去にも貼りつき防止としてクッキングシートを置いてみたりしてみたのですが、あまり効果がなく、結局、色塗りのときに作業場所としたコピー用紙の上でニス塗りをしています。
またドングリの根本(木にぶら下がっていた側)にニスを塗る必要があるかについては、私は塗っていません。仕上がりとしては以下の写真のようになりました。
ニスに使った筆はそのままにすると固まりますので、使用後はしっかり洗ってください。筆は以下の商品を使いました。獣毛の筆で水性系のニスを塗ると筆が固まりやすいということなのでナイロン筆を選びました。
ニスは以下の商品を使いました。ほかの商品との比較の上ではありませんが特に不都合なく使えています。
おわりに
関連記事
ペイントどんぐりの全体工程をご紹介しています。
熱い男 エリック•カールの絵本 2冊
はじめに
主人公は「絵描き」
まずは、ご紹介する2作品の共通点からご説明します。
エリック・カールの絵本というと動物、昆虫、鳥、魚といった生き物が主人公の絵本をイメージすることが多いと思います。しかし今回ご紹介する2作品の主人公はどちらも「絵描き」です。つまり両作品ともエリック・カールの自画像としての絵本作品といえます。
自画像というと西洋美術の重要なジャンルの一つであり、有名な画家や巨匠たちも多くの自画像を残しています。つまり商業アーティストではなく「芸術家」として王道のテーマで勝負した2作品と考えています。また自画像とは自分とは何者かを表現するものですから数ある作品の中でも強い主張・メッセージ性を持たせた作品であると考えらえれます。
絵本紹介
おほしさまかいて!
絵描きが星を描くところから始まり、太陽、植物、人間、動物と生み出していき、世界を作り出し、自ら作り出した世界を残しながら最後に絵描きが死を迎えるという内容です。
本作は絵本を芸術作品として美術の文脈に乗せた作品であると私は考えます。村上隆著「芸術闘争論」によると現代美術の評価視点として「コンテキスト」(文脈)と「圧力」が重要であると説明されています。そしてコンテキストとしては
- 自画像
- エロス
- 死
- フォーマリズム(歴史を意識すること)
- 時事
という5つから複数をシャッフルして作品の文脈として組み込むことが好まれるとあります。本作品は「自画像」「エロス」「死」という文脈を含んで構成されています。まずは主人公が絵描きであることからこの作品は「自画像」であることが示されます。
次に「エロス」です。本作では絵描きが生み出したアダムとイブのような全裸の成人の男女が描かれており、この表現は「愛」や「生」としてのエロスといえなくもないでしょう。
最後の「死」について主人公の絵描きが世界を創造し、死後もその世界(作品)が残ると描かれています。これは主人公は消費される商業アーティストではなく「芸術家」であるというメッセージと考えました。
えをかくかくかく
主人公の絵描きが「青い馬」「赤いワニ」「黄色い牛」と次から次へと不思議な色でさまざまな動物を描いていくという内容です。
この絵本は最後に「この絵本のはじまり」と題された解説があります。それによるとドイツ在住時代の美術の先生が絵を描くことが大好きなカール少年に、こっそり〈堕落した美術〉の複製画を見せてくれたそうです。それは政権をコントロールしていたナチスが〈退廃芸術家〉とよんだ画家たちの作品でした。そこには「青い馬」や「黄色い牛」といった鮮やかな動物たちが絵が描かれている作品があったということです。先生が逮捕されるようなリスクを負いながらカール少年に示してくれた「自由な美術」に対する思いが本作品では描かれています。
絵本の内容に戻りましょう。カラフルな不思議な色の動物が次から次へと登場し、そして最後に再び絵描きが登場し「自由な美術」に対する思いを絵本の中で宣言し、この絵本は終わります。
おわりに
エリック・カール作品の魅力をお伝えできたでしょうか。最後に偕成社のホームページに掲載されているエリック・カールのQ&Aコーナー「おしえて!カールさん」の質問「カールさんはアーティストですか?」への回答を引用させていただき本記事を終わりにさせていただきます。
”私は絵本作家だから、商業アーティストと芸術家の中間のどこかにいると思う。私には、本という製品があって、読者というお客さんがいる。同時に、純粋な芸術家のように、自分のすきなときに、すきなように本を作ることができる。ところで、純粋な芸術家だからといって、作品がすぐれているとはかぎらない。私は、下手な芸術家の作品よりも、すぐれた商業アーティストの作品を選ぶよ。”
関連記事
「ホットケーキできあがり!」を紹介しています。